5th Album 「orbital period」, BUMP OF CHICKEN II [2005-2010]

BUMP OF CHICKEN 「supernova」歌詞の意味

主な収録作品:supernova / カルマ
BUMP OF CHICKEN
トイズファクトリー
2005-11-23

【はじめに】 基本的に、ここで書くのは言葉的な解釈だけです。「曲のテーマ」とか「メッセージ」とかは聴いたひとそれぞれが感じるものなので、そのあたりの考察にまでは踏み込まないようにしたいかなと思います。

→BUMP OF CHICKEN 「supernova」歌詞(リンク)

【歌詞の大まかな意味】

体調が悪くなって初めて、自分に体があることを意識する。
息が苦しくなって初めて、それまで呼吸をしていたことを理解する。
それと同じで、君がいてくれることも、頭ではわかっているつもりでいるけれど
君の大切さに本当の意味で気づくのは、いなくなったあとなんだ。

さしのべられた手を拒んだときに、大きな地震が起こるかもしれない。
そうしたら僕は考えを変えて、一度拒んだ手を守るだろう。
その手を守りたかったんじゃなくて、ただの自己満足のために。
それと同じで、君のことも、ずっと大切にしてはきたけれど
ただ自分がひとりになるのが怖くて、離れられなかっただけなんだ。

 

他人と話していると、どうしても言いたいことなんか大してないことに気づく。
だからとりあえず相手の話に合わせるようなことをするんだけど
そうしたら、言いたくても言えない気持ちの方は、本当はたくさんあることに気づく。
君がいてくれることにも、もちろん感謝を伝えつづけるけど
本当の気持ちは、「ありがとう」なんて言葉じゃ表わしきれないんだ。

 

それでも終わりに向かって進んでいく、僕らの限りある時間の中で、
ひとつでも本当の気持ちを見つけたくて
本当の気持ちを伝えたくて…

 

自分の年齢をかぞえると、短くても生きた歴史があったことに改めて気づく。
そして、その人生にもいつか終わりが来ることを知る。
君の歴史も、存在も、終わりが来たあとで思いだすのは簡単だろうけど
やっぱり欲しいのは、思い出じゃなくて一緒にいる今の時間なんだ。

君との日々を思いだすのは、君を忘れてしまったあとだろう。
君と会ったことに価値を見つけるのは、君をなくしたあとだろう。

ひとりひとりの存在は小さいものだけど
その誰かがいるおかげで、ほかの人の世界は作られる。
だから君の存在だって、
何度も不安で確かめたりするけれど
本当は君がいなくなっても、僕の世界の中にちゃんとある。

君がいなくなったあとも、
僕らの時間は続いていくんだ。

 

◆「延べられた手を守った その時に 守りたかったのは 自分かもしれない」について

この曲のAメロの構成は、身近な例えを示し、そこから「君の存在だって」と人間関係に当てはめる、という流れで一貫しています。

「延べられた…」の歌詞も、あとに続く「君の存在だって…本当に恐いから 離れられないだけなんだ」の例えになっている部分と思われます。ですのでここは「恐いから離れられない」ことの例えであり、「拒んだ手を、気を変えて守ったのは、相手を守りたかったんじゃなく、自分が一人になるのが怖かったからだ」くらいの意味にとることができます。

 

◆曲名の「supernova」について

「supernova(スーパーノヴァ)」は「超新星」を意味します。ブリタニカ国際大百科事典によると、

ちょうしんせい【超新星】super nova
星の明るさが数日のうちに急激に増大する現象を新星と呼ぶが、その増光の度合いが著しく大きいものを超新星と呼ぶ。…超新星現象は、星の進化の最終段階において、星が重力崩壊を起こし中性子星ができるためと考えられている。

とあり、つまり星が死ぬときに強く光ることです。地球から遠く離れた星は、この超新星爆発によって初めて、地球上の私たちに見つけられるほど強く光るのですが、その時にはもう(地球に光が届くまでのタイムラグも考えると)、その星は死んでしまっているのです。

この現象を人間関係に置き換えたのが「supernova」という曲であり、詳しい解説は2005年のラジオ番組内のコーナー「BUMP LOCKS!」で藤原さん自身によって行われています。公式サイトには発言そのままではありませんが、要約らしきものも残っていますので参考にしてもよいかと思います。

「みんながsupernova。キミも、ボクも、みんな超新星なんだ」

超新星。supernova。
新しく生まれた星のことを新星という・・・。
であれば超が付く新星!どんなに新しい星 !?
と思いきや、星が終わるとき・・・最後に膨大に輝く現象のことを超新星爆発と呼ぶらしい。
子供心にそれを知ったとき、すごくすごく驚いた。

僕らにはきっと、超新星現象が始まって初めて知る星がある。
ずっとそこにあったのに。
最後に思いっきり瞬く超新星に、ようやく気付く。
地球から見てるってことは、何万年、何千年前の爆発で、今、その星自体はとっくにないってことになることになるのかもしれないんだけど。

転校して近くにいなくなった友達。
家族やペット。
ずっとそこにいたのに。
いなくなってから初めて大切さに気付くことがある。

これって超新星方式?
既にないのに。あとになってから分かることもあるのか・・・。
なんて切ないんだろう・・・。

だけど実は、みんな生まれた時から「超新星」だったりするんじゃないかな。
みんながみんな、空に広がる無数の星のひとつで、どんなに平凡に見えたって・・・、1個1個、太陽の数億倍の輝きを放ってる。
その時その時、すごい輝きを放ってる!

限界とか終わり・・・、それがあるものを一番信用出来る!
限界があるからそこまで、何だってやってやろう!と思える。
何だって出来る。
「限界がない、終わりがない」・・・。
そんなこと言っちゃうと逆に寂しくなっちゃうよ。
僕らが生きているのはきっと、自分の限界を分かっててそれを精一杯に生かしながら、精一杯に生きようとしている世界。

ラジオの前のみんなも、僕自身も。

http://www.tfm.co.jp/lock/bump/index.html

 

※ 2018/03/16更新

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